アイイズハナワラビ
Botrychium ×longistipitatum (Sahashi) Nakaike
巻頭で、佐橋先生が世界で初めてハナワラビ類で種間雑種をみつけた(Sahashi 1979a)と述べましたが、それがこのアイイズハナワラビです(図6.1)。地中生配偶体と交配様式の関連については、後で詳しく述べます。Sahashi (1979a)は、シチトウハナワラビとフユノハナワラビの雑種だと推定しています。4倍体で減数分裂や胞子形態は異常です(Sahashi 1979b)。
種小名は「長い柄の」という意味です。長いのは栄養葉でなく胞子葉の葉柄です。Sahashi (1979b)には標本のシルエットが載せられていますが、この点を強調するためか、胞子葉の葉柄が折り曲げられています。図6.1の個体は、葉の縁が赤みを帯びてミドリハナワラビに似ています。未記載ですがシチトウとミドリの雑種と推定される個体は「ミドリシチトウハナワラビ」と仮称されていますが、この個体もそうかもしれません。酵素多型解析(LAP)の結果(図6.2)ではシチトウ・プラスワンのバンドパターンなので、シチトウと何かの種間雑種である事は間違いありません。アイイズのプラスワンのバンドは、左から一番目のミドリと二番目のフユのバンドと一致しています。ミドリの項で述べたように、ミドリは変異が無く、LAPではこのバンドのみを持っています。いっぽうフユは遺伝的に多様で、このバンドの対立遺伝子も3割近くの頻度で持っています。つまり、シチトウ×ミドリなのか、シチトウ×フユなのか判断できない状況です。岡(2018)によれば、アイイズはミドリが存在しない徳島県でも発見されたそうなので、シチトウ×フユも存在することは確かです。佐橋先生と岡武利さんと一緒に伊豆大島巡りをすると、これはアイイズ、これはミドリシチトウ、と二人で楽しそうにしていますが、区別が難しすぎて、私にはよく分からない領域です。
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雑種発見が驚きを伴った背景について説明しましょう。St. Jhon (1949)は、ハナワラビ類が地中生配偶体を持つ事を理由に、「交雑もしくは種内での他殖さえ、ほとんど不可能だ」と述べ、この考えが長らく影響力を持っていたのが理由のようです。佐橋先生の1979年のアイイズ発見後、Wagner et al. (1985)は、ハナヤスリ科で更に種間雑種の証拠を集め、同じく地中生配偶体を持つヒカゲノカズラ類やマツバラン属でも種間雑種が存在することから、「地中生配偶体で他殖が抑制されるという証拠は存在しない」と結論づけました。さて、この時代はシダ植物でも酵素多型解析が普及した頃であり、分子マーカーを用いて野外集団の交配様式を推定する試みが始まっていました。Wagner論文と同じ年にMcCauley et al. (1985)は、北米のBotrychium dissectum(この図鑑で扱うオオハナワラビ亜属に属します)について、平均自殖率が95%という推定値を導きました。翌年、Soltis and Soltis (1986)は、ナツノハナワラビ(これは夏緑性で別の亜属)で、やはり79%~100%という高い自殖率を報告しました。さらにちょっと遅れますが、私と佐橋先生(Watano and Sahashi 1992)も、エゾフユノハナワラビで25%~100%、フユノハナワラビで98%~100%という結果を得ました。結果として、ハナワラビ類の自殖性が極めて高い事は間違いないようなのです。Soltis夫妻はこの頃、体系的にシダ植物の交配様式を調べていて、ハナワラビ類と同じく地中生配偶体を持つヒカゲノカズラ類も調べています。その結果は不思議な事に、調べた3種は全て他殖性(自殖率はほぼ0%)となりました(Soltis and Soltis 1988)。1980年代後半は私の博士課程の学生時代に相当し、わくわくしながらこの展開を追いかけていました。その興奮を伝えたくて時系列で書いたので、ちょっと分かりにくくなったかもしれません。要は、ヒカゲノカズラ類の交配様式が示すように、「地中生配偶体で他殖が抑制されるという証拠は存在しない」というWagnerの言葉は正しいですし、ハナワラビ類が高自殖性という点では、St. Jhonも一部正しかったのです。高自殖性といっても一部は他殖するので、種間雑種が出来ることも普通のことなのでしょう。